合気道はどんな武道?誰が作って、どんな流派があるの?

合気道(あいきどう)って名前は聞いたことあるけど、どんな武道なんだろうか。

自分の経験も踏まえて、少し調べてみました。

合気道は水戸黄門に出てた由美かおるや、ハリウッドスターのスティーブン・セガールがやっている武道です。

最近だと、元AKB48の秋元才加がやってた武道です。

どんな武道か見ていきたいです。

合気道とは?

合気道とは、大正末期から昭和初期にかけて、植芝盛平があみだした日本の武道です。植芝盛平は、古流柔術、槍術、剣術などに基づいて、研鑽を重ねて合気道を生み出しました。昭和初期にその原型が完成したので、100年くらいの歴史を持っています。剣術など江戸時代以前からある武道に比べると、比較的新しい武道と言えます。

合気道の大きな特徴は、試合がないことです。他の武道のほとんどに試合があり、それにより勝敗が決します。合気道の精神は「愛」にあるので、試合がないだけでなく、敵そのものもなくす(敵すら愛で包み、友達になろう)という考えが根底にあります。相手を倒すことを目指すのではなく、あくまで自己研鑽の道が合気道です。

植芝盛平ってどんな人?

合気道を創始した植芝盛平(うえしば もりへい)開祖(かいそ)と呼ばれています。開祖は明治16(1883)年に現在の和歌山県田辺市に生まれました。開祖は5人姉妹の中でただ一人の男児として、4番目に生まれました。生まれながらにして体が小さく、14、5歳までは小柄でやせ型でした。

その後、開祖は北海道開拓団の和歌山県の団長として、北海道の白滝村で開拓事業に従事しました。この時、一流の武人たちと出会い、武道の修行に多大なる影響を受けることになります。団長を務めていましたが、父危篤の知らせの報に接し急遽故郷へ帰ることになります。その帰途、京都の綾部市で大本教の出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう)と出会い、深い感銘を受けます。

出口王仁三郎は後年、モンゴルへ布教活動へと向かいますが、そこに開祖も随行することになります。モンゴルにいる最中、開祖は命を狙われるという一幕がありました。そこで、真意のほどは明らかではないですが、銃弾を避けたという伝説が残っています。ここでインスピレーションを受け後の合気道の発展へとつながります。

開祖は帰国後、東京の牛込に道場を開き、合気道の普及に東奔西走することとなります。ここで、個人道場でありながら昭和14年に財団法人の許可を受け、組織道場として発展します。第二次世界大戦期には、茨城県の岩間に道場を開設して、農業に従事しながら合気道の研鑽に力を入れていきます。

戦後、東京に戻り現在の新宿区若松町に道場を構え、合気道の発展を日々目の当たりにしました。開祖は合気道の開発・発展の功績を称えられて、政府から紫綬褒章を受章しました。昭和44(1969)年に開祖は、86歳で他界します。その死後、さらに政府から生前の功績に対して正五位勲三等が贈られました。

どんな流派があるの?

空手に剛柔流や松濤館流などの流派があるように、合気道にも流派があります。最も大きいものは、開祖の流派を組む合気道本部道場の流派です。便宜的に植芝流とでもしておきましょう。他には開祖の弟子である塩田剛三が立ち上げた養神館というものがあります。さらに、同じく開祖に師事した藤平光一が立ち上げた心身統一合気道会などがあります。

この中で、最大の規模を誇るのは、やはり植芝流です。東京都新宿区若松町に本部道場を構え、1日のべ500人が稽古に励んでいます。公称ですが海外の競技人口100万人国内は10万人とされています。また、合気会は自らが正統の合気道として、養神館や心身統一合気道会などは“その他武道”として排除しています。ですので、植芝流というのも実ははばかられます。

まとめ

合気道はここ100年で興った武道ですが、確実な実績があります。武道ですが、強靭な肉体や筋力が必要ではなく、誰でも気軽に始められます

試合がないことで目標が定めづらいですが、自己研鑽をして精神の安定が図れると思います。

もし武道に興味があるのなら、合気道を始めるのをおすすめします。私自身も15年以上稽古をしていますが、他の武道にはない良さがたくさん詰まっていると思まます。

※参考リンク→合気道本部道場/合気道とは

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