今回は「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」という故事成語を解説したいと思います。よく耳にする言葉ですが、どういう意味でどういった経緯でこの言葉が発せられたのでしょうか。
読み・意味
「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」は「えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや」と読みます。
意味は、鴻鵠(大鳥)の気持ちや志は、燕や雀(小鳥)には分からないということ。転じて、小人物には大人物の気持ちは分からないという意味。
出典
この故事成語は、司馬遷編の「史記」が原典です。
今回の主人公は陳勝(ちんしょう)。秦の始皇帝の時代の人物です。
雇われ農民として農作業をしていた陳勝は、ある日、小高い丘でため息をついていました。
そして、彼はこんなことを言い出しました。
「もし俺が偉くなったら、お前たちのことは忘れないでいよう」
周りにいた農民たちが嘲り笑って、こう返しました。
「人に雇われて農作業をしている身分で、どうして出世なんか望めるんだよ」
これを聞いた陳勝は、ため息をつきながら答えます。
「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」
こんな経緯で、陳勝はこの言葉を口にしました。
現代で言えば、バイトが大企業の社長になるぞと意気込むようなものでしょうか。
どんな境遇にいても志を高く持てと、勇気づけてくれる言葉だと私は解釈しています。
後日談
陳勝はこの言葉を吐いた後どうなったのか。史記はその後の陳勝のことも記しています。
陳勝は漁陽という場所の駐屯隊長をしていましたが、住民を扇動して挙兵しました。
当時の始皇帝施政下では、人民が強制徴収されて賦役につかされていました。人民の間には沸々と不満が燃え上がって、爆発寸前でした。
そうした時期に陳勝は呉広(ごこう)という人物と挙兵して、瞬く間に数万人の兵力を擁する勢力となります。
陳勝と呉広はついには「大楚」と国号を定めて、国王まで上り詰めます。そうです、彼は言葉通りに富貴を楽しめる地位まで上り詰めました。
しかし、その後は秦の章邯という将軍の活躍によって敗戦が続き、没落していきます。
陳勝は没落していきますが、秦帝国に楔を打ち込み、その崩壊の第一歩を確実に築いた人物となりました。
その亀裂から項羽や劉邦が飛び出して、ついには劉邦が志を遂げて漢帝国を成立させます。
雑記
中国の歴史上の人物で、名を成した人の伝説のような事柄を伝える話はいくらでもあります。
例えば、陳勝の後に出て、その後の漢を成立させた高祖・劉邦。彼の母が懐妊した時の伝説が残っています。
劉邦の母が彼を身ごもったとき、腹の上に竜がうごめいていたと言われています。
後世のひとが権威付けのために吹聴した話でしょうが、そういった話が残っています。
また、三国時代の劉備にも子どもの頃の逸話が残っています。
劉備の家の裏には大きな木があり、皇帝の乗る天蓋の付いた車のような形をしていました。
劉備少年は、その木に乗っては、俺は将来皇帝になってこんな車に乗るんだと言っていたそうです。
こういう説話は嘘だと分かっていても、読んでいて楽しいものです。
まとめ
この言葉は他人を蔑むマイナスな言葉のように捉われがちですが、私はポジティブに解釈しています。
常に志を高く持って行動したいと思う方には、ぴったりな言葉ではないでしょうか。
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