中国古典説話ー李世民ー 君は舟なり、人は水なり

どうも、ICHIです。

今回は、「君は舟なり、人は水なり」という故事成語を解説したいと思います。

古い船

読み・意味

「君は舟なり、人は水なり」は、「きみはふねなり、ひとはみずなり」と読みます。

意味は、上に立つ者の心構えとして、舟である君子は水である人に支えられていることを忘れてはならない、という意味です。

出典

これは「貞観政要(じょうがんせいよう)」に出てくる説話です。

唐の時代に第二代皇帝であった太宗・李世民(たいそう・りせいみん)が今回の中心人物です。

李世民は側近の臣下たちに向かってつぶやきます。

李世民

昔の皇帝の例をみると、どんなに栄えて権勢を誇った皇帝でも、決まって衰退の道を辿っている。

なぜなら、忠臣が口を閉ざして媚びへつらう者が幅をきかせているからだ。しかも、そのことに君子自身が気がつかない。

今は戦乱が終わり平和になっているが、気持ちを緩めずによくよく注意しなければならない。

このつぶやきに対し、臣下の魏徴(ぎちょう)が答えます。

魏徴

昔から国を滅ぼした君子は、安きに居りて危うきを忘れたからでございます。

昔の言い伝えに君は舟なり、人は水なり。水はよく舟を載せ、またよく舟を覆す」という言葉がございます。

畏れるべきは人民の目でございます。

こんな経緯で、この言葉は発せられました。

原典は「荀子」王制編の言葉を引用したものです。

原典では、「君は舟なり、人は水なり、水はすなわち舟を載せ、水はすなわち舟を覆す」です。

上に立つ人物は一人で組織を動かせるわけではない、部下や下の者に支えられていることを肝に銘じる訓示だと思っています。

雑記

貞観政要とは

今回引用した原典の「貞観政要」は呉兢(ごきょう)という人物が、唐時代の太宗・李世民の臣下との問答を編纂した、「政」治の「要」諦=政治のポイントをまとめた書です。

昔から読み継がれてきたリーダーの心構えを綴った古典です。

北条政子や徳川家康が愛読していたことでも知られている、帝王学の教典です。

最近では、出口治朗氏がNHKの「100分de名著」でこの「貞観政要」を解説して、再度軽いブームがきました。

原典は明治書院から完訳が出ていますが、軽い辞書くらいのページ数で上下2巻で出ています。

さすがにこれを全部読むのは研究者レベルだと思います。

先ほどの出口氏もそうですが解説本がいくつも出てますので、そういった本から読んでみるのもいいかと思います。

太宗・李世民はどんな人物か

李世民は唐王朝の初代皇帝・李淵(りえん)の次男として生まれました。

小さいころから利発で、将来を嘱望されていました。

暗君で名高い隋の煬帝(ようだい)の治世で人民の鬱憤が溜まり、各地で豪族が反乱を起こしていました。

そんな中で北方の太原(たいげん)を根拠地として李淵も蜂起します。

この自立の背中を押したのが、李世民だと言われています。

全国を制覇した李氏の唐王朝ですが、後継者争いが起こります。

中国王朝の定番の問題ですが、今回は、長男・李建成(りけんせい)、三男・李元吉(りげんきつ) vs 次男・李世民という構図で抗争が生じます。

李建成グループが暗殺を画策しているという情報を掴んだ李世民は、先手を打って兄弟を殺してしまいます。

これが有名な「玄武門の変」です。

ここで他の皇太子候補を排除した李世民は、無事に李淵から帝位を継承します。

李世民の治世は元号を「貞観(じょうがん)」といいましたが、「貞観の治(じょうがんのち)」として数ある中国王朝の中でも安定・発展した時代として有名になりました。

この治世は李世民が元々有能だったこともありますが、諫議大夫(かんぎたいふ)という役職を置いて諫言を奨励していたことが大きな要因です。

また、「玄武門の変」で儒教思想である長幼の序を乱して、次男の自分が帝位に就いたことに負い目を感じていたとも言われています。

このため、強いて名君であろうと心掛けていたと言われています。

いずれにしろ、国際的な大帝国を築いた李世民はやはり、ひとかどの人物だったのでしょう。

まとめ

「貞観政要」には李世民と臣下の問答が数多く載せられています。

全ては読んでいませんが、今回のものは私が読んだ中では一番好きな説話です。

私はまだまだ人の上に立つことはありませんが、普段働いているときもお客様や周りに支えられていることを忘れずにいたいと思います。

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